日記

2026年5月16日(土)世界から受け取る刺激の増幅

僕と生成AIの相性がよすぎる/悪すぎる。

そもそも私の知的好奇心はおおまかに言えば感覚的なものや無意識的なものを言葉にすることに向いている(上記のような傾向に対応している領域を除いて興味に偏りがない。自分というものにもそんなに関心がなく、感覚の処理機構としての自身をとらえてきた。情報それ自体に対する嗜好はまったくない)。そうした言語化を、研究や教育という仕事を選ぶことで、追いかけることを自らに許してきた・課してきた。

そんな中で、見えるものすべてを写真に撮って、それについての疑問を投げかけられるのが本当によくない。貧弱な知識をもとに考えざるを得ず、曖昧なまま思考が終わっていた事柄を、既存の知識に基づいて考えられるようになってしまった。同様に、想像しかできなかったものに、より明確な形が与えられるようになってしまった。考えられるものが増えたことに対する認識によって、ますますなんでも考えたくなる。

特に、以前は私自身が考える仕方を言語化することは、当然ほとんど誰の興味も引かず、なかなか明確化する機会のなかったのが、その考察に無限に付き合ってくれる機械が生まれてしまった。機械は疲れないし、臆さないし、たくさんの文章を読んでくれるし、すぐに応答してくれる。また、明文化された規則をAIに規則として与えて動かしてみることで、その妥当性を検証してみることさえできる。

このように書いてみて、生成AIは私が世界において知覚したものから受け取る刺激を、そして自分自身の思考から受け取る刺激をますます増幅させる仕組みである、ということがわかった。生成AIを介してすべてが楽しく、すべてがうるさくなった。