最近、文章の濃度を上げすぎているかもしれない、と思った。文章のモデルが、レストランの料理、短歌、情報が少ないタイプのインスタレーションなので。どの部分をどんな組み合わせで取り上げてもちゃんと意義がある、他との関係で効果を持たない部分を置かない、ということを徹底しようとしている。
ひとつの文章内部で緻密に文同士を結びつけることは、行きつ戻りつできる文章だから可能であるような、かなり書き言葉的な作法であって、ほとんど必然的に話し言葉から離れていくので、普通の意味では読みにくくなる。多分息苦しい。
昔の自分を知っててくれる人の数
数じゃないけど数を数える
(永井祐、『文学茶釜』2026年9月19日)
永井祐は、書き言葉として完成した短歌、つまり話し言葉とは異なる仕組みにもとづく短歌を完全に操作できるゆえに、書き言葉と異質な論理を持つ話し言葉を、書き言葉としての面白さが生じる範囲で取り込んでいる、と思った。これは単なる話し言葉ではない。
濃度を上げる癖はおそらく『新潮』や『RiCE』といった一行の長さが短いところで文章を繰り返し書いているせいもあるのだろう。『新潮』のエッセイは一行19文字が3段組で2400字くらい、『RiCE』のエッセイは一行18文字が3段組で、だいたい1800字くらい。だいたい1-3行くらい足りなくなってすべての段落から数文字減らそうとする、ということを繰り返しやってきた。不必要な推量、冗長な助詞、クリシェ的な言い回しを刈り込んで、それでもまだ削り込みが足りないと、書いてしまった中で本当はどの論点が不要だったのかを考える羽目になり、よくよく考えると手癖で書いてしまった文に気づいてしまう。最初に書くときには、自分に厳しい制約を書かず、流れるがままに書いていく、という口語めいたやり方をとる必要があるけれど、それを書き言葉に近づけていく。
文学茶釜、過去のものが見れない or 全然見つからない
文章というものがどういう仕組みになっていて、書き方の慣習にどういう効果があるか、その慣習を定式化してうまく制御することでどんな無理が押し通せるようになるのか、ということがだんだんわかってきた
一個だけグレープフルーツを食べた。柑橘の皮はいつも何かに使っているけれど、さすがに一個分の皮のためにそんなに労力はかけられない。水に入れておけば香りや苦味が移って飲めるだろう、酸味や甘味と違って香りや苦味は減衰しにくいし。翌日飲んでおいしかった。うちで雑にコーラ風のシロップを作っているのだが、それを割るととてもおいしかったし、蒸留酒を割るのにかなり取り回しが良かった。まだ香りが出そうなので、タッパーにもう一回水を足してみた。
これを始めたのが大体一ヶ月。タッパーの液体を飲んでは水を足し、飲んでは水を足してきた。植物の発酵と腐敗の味についてはある程度理解があるつもりだが、まだ腐っていないし、まだまだ味がする。怖い。お腹を壊すことが、ということではなく、なんでこんなことが起こっているのかわからなくて怖い。
使わなかった原稿
嫌で嫌でずっと後回しにしていた原稿に取り掛かった。文章は少しずつ読み進めてきたし、これまでウェブの記事なども集めてきたけれど、まとめる作業に入るのは気が重い。体感としてはメモを整理している時が一番不安な気がする。この素材で書かなきゃいけないという現実を突きつけられる。僕には書けるのか?しかも、メモを整理するという作業それ自体に結構な時間がかかる。メモや日記、ウェブ記事のクリップ、ポストイット、写真、「いいね」欄などそういうのをいちいち遡って抜き出す作業なので、結構時間がかかるし、その間ずっと不安を感じている。早く楽になりたいと思っている。それに比べれば、一旦書き始めてしまった後の方が密度を持って作業ができるので不安が少ない。
「文章論のふりをしながら、ことばによって世界の複雑さをいかに手放さずに掴むか、どのように恐怖の底に触れるかを論じた、骨太な批評です」、「短歌を回転させるみたいなレベルで論文とか文章を推敲し続けるのはやばいと思う」と言われた。この一週間ちょっと、誰にも頼まれていない文章を書いたり本を推敲したりして頭使ったのが報われた。
推敲が終わらない。無理やり片付けた。7月初頭の原稿から、本文785段落のうち339段落に変更があった。
刺さった棘を抜こうとしている間に別の棘が刺さる。文体が人格だとすれば、ちゃんと書き上がった文章には棘がないかもしれないが、疲れてぐったりした人が表れるのだろうか。
1)すべての文に接続詞をつける。
2)すべての接続詞を言い換える(よって→〜であるため、しかし→前の段落で〜という見解を確認したが、これには異論がある。それは〜……など)
3)可能なかぎり接続詞を取り除く
情報に役割があり、その順番が的確ならば、ほぼ接続詞がなくても文章は流れる。
この発想を元に生成AIに自分の書いた文章を点検させてみたところ、文章の甘かったところを的確に指摘してくれていて、一目見て身体が拒否を起こした。発想は合っていたようだが、人間には扱いきれない正確さだ。
やっと日記書き終わった。疲弊したが、自分の人生をきちんとやるために必要な手続きだ。
生成AIの日本語は、現代の普通の人間が書く日本語とは異なる。もちろん単純に下手な場合もあれば、英語由来のまったく意味が通らない語彙を出すこともある。それでも、語感を考えると結構使えるな、みたいな語用もあるし、私自身、一般的な日本語では言えないことを言うために言い回しに負荷をかけることもあるので、生成AIの日本語を責める文章を読むと「そんなに責めないであげて」って思っちゃう。
生成AIでなぜなぜ期が止まらない。環境負荷のことを知っているので罪悪感があるけどやめられない。
ADHDの特性によって強められているらしいが、見たもの聞いたもの読んだものについてずっと考えている自分の思考が一番うるさく、疲弊させられている
いずみやの屋上で夕焼けを見た。周囲に高い建物がないので空を見渡すことができる。知らない色がたくさんあった。くすんだ青と透明な青、紫、燃える赤……。レヴィ゠ストロースは『悲しき熱帯』で、大西洋をゆく船で日の出と日没を眺める経験について次のように書いていた。
初心者の素朴さで、私は人気のない甲板で、これら超自然的とも思われる天地の変動を観察することに熱中した。毎日ほんの僅かのあいだに、日の出と日没は、天地の変動の始まりと発展と終末を、それまで私が見たこともなかったような広大な水平線の四方で、形に現わしてみせるのであった。もし私が、移ろいやすく、しかもそれを記述しようとする一切の努力に逆らう、これらの現象を定着するための言葉を見出していたら、また、もし私に、結局はただ一回限りで、同じ状態では決して再び生ずることのない一つの事象の、様々な段階とその移りゆきを他の人々に伝える能力が与えられていたら、そのとき私は唯のひと跳びで、恐らく私の仕事の奥義に達していたことであろう。
いずみやの5階にある「玉子焼・お出汁ひまわり」、料理と他人に料理を教えるのがうまい篤志家によって運営されている。
いずみや、京都最高のスポットの一つかもしれない。
あまりにも暑いので、夏は雨が降っているときに走ることにしている。この日も雨が降り始めるのに気づいて、外に出て、山の際を通る道を走った。痛いくらいの雨だった。山の方から流れてくる川は、普段は優しい小川だが、この日は濁流になっていた。
外洋を渡る船に乗った時の心細さを感じた。水は、蛇口から出てきたりペットボトルに入っていたりするときには気づかないけれど、強大な力を持つ事物であることを改めて認識した。そして、水はそれ自身の規則に沿って動く。人間はそれにある程度抗うことができるが、究極的には水の動きに従わざるを得ない。
そのような意味で、すべての生物は水(あるいはその循環を駆動する日光)に対して卑小であるが、山を満たし、雨を一身に受け止めていた植物は水を最大限使うような形持っている。限りなく大きな必然性に応じた、生物としての必然性がある。対して、人間は水の影響を可能な限り小さくしようとする。もちろん、外界から自らを切り離すことは生物の基本的な条件であり、水に合わせなくてもよい状況を作ったことで生まれた美しいものもたくさんある。しかし、人間は大きな必然性に応じたものが持つ美しさを失っており、不恰好だ、と思った。
近くの家にゴーヤのグリーンカーテンがあり、小さなゴーヤが成っていた。野菜を育てるのは大変そう。うちでもバジルやミントは、もちろん育つが、それでも水やりくらいはしていて、末端価格1パック198円のものを作って農家がどうして生計が立てられるのか全然わからない。奇跡だ。農家はすごい
ときどき、もっと確実に人の役に立ちたい、という衝動が湧き上がる。誰かの生活を維持するような。医療、農業、インフラ、福祉……。しかし、生活のことを考えてみると、こんな世界であれば生きるに値しない、とも思う。それならば、必要なのは、世界のよいところに光を当てたり、よいものと悪いものを選り分ける基準を作ったり、よさを正確に書く方法を考えたり、といったことの方かもしれない。それは僕の仕事だろう。
「あなたは世界に対する怒りで書いてるのね」みたいなことを言われたけど、正確には、「そんなふうに理解されたら世界が可哀想だよ……」と思って書いている
実家の百日紅が弱っているらしい。いま90歳くらいの野口のおばちゃんが子供の頃から木だったから。数年前から傷んでいる箇所に補修を重ねてきた。翌日には少しだけ花が咲いていた
昨日まで読んでいた本が重要な理論的な支柱として参照していた本を読んだ。以前読んだことがあったけれど、まったく印象が変わってしまった。端的に言えば、同じように言葉に振り回されていて、概念を握って使っている感じがなかった。
これを「二人とも馬鹿だから」で片付けるのは簡単だろうが、それは見切りが雑すぎる。二人とも優れた部分が多い著者である以上、「単に概念を握って使うことに興味がないから」と考えた方がいいだろう。さらに言えば、「そうやって言葉を扱う体験が意識化されることが稀であった」とか、「学問領域としての慣習が違う」とか考えた方がよっぽど得るものが多い。
そう思って考えてみると、確かに、哲学ないしその近接領域は概念を握って使うことより、概念を完成させて、それをできる限り遠くまで行かせることの方に関心がありそう。もちろん、誰かが不完全なままにした概念を叩き直してより良い概念を作る、ということはやっているだろうけど、むしろ手綱を離して自立した概念を生み出すことを求めているような気もするし、良い概念/悪い概念 が 上手い読解/下手な読解 に仕分けられていそう。
対して人類学は、どれほど概念がある状況に位置づけられたものでしかないかということを自身に延々と言い聞かせてきた学問で、異なる概念は異なる状況に対応づけられることが基本の一つにあるはず。どんなふうに自分たちが概念を握って使ってしまっているか、ということをずっと人類学者同士で言い合ってきて、(それをもって「だから人類学は根本的にダメなんだ」という人でない限り)うまく概念を握って使おうとしてきたように思う。
同様に対比すれば、哲学が完成した概念を作って、それがどんな時でも使えるようになる、ということに嬉しさを感じているとするならば、人類学は概念がうまく行ったり行かなかったりする時を見つけて概念を握り直す、それに応じて状況を分け直す、ということがプログラムに組み込まれている気がする。当然、人類学にも完成した概念で全てを語って終わりにしたい人はいるけれど、だいたいは言葉がうまく行かない状況を探すことが強く動機に組み込まれている。
……いや、これは私の定式化した人類学に近すぎる気もするが、ともかく、概念に対して哲学っぽい関心の持ち方はあって、それは人類学的な言葉の扱い方とは全然で、互いに他のやり方に対して興味を持てない、ということはありそう。別にそういうふうに言葉を捉える人たちに関心を持ってもらう必要がない、ということもあるけれど、真剣に言葉を扱おうとする人の中にそういう考え方の人が少なくないことは確かだろう。一体、何をどうすればいいのかしら
期待が高かったのですぐ読まなかった本が期待外れだった。
まず、不要な文章や語などが多い。前に書いたことをほぼ繰り返す文章、議論に入る前の投げかけ、いらない副詞、反語、傍点による強調、不要な改行。それほど文字数の制限がない書籍という媒体であることを考えても、あまりにだらっとしている(だけど、もしかして、そんなにぐだぐだ書いてあげないと読者は読んでくれない、ということなんだろうか)。
次に、概念に振り回されている。強い言葉で書こうとしている物事を不用意に切り分けてしまっていたり、用語自体を長々と検討して論脈が失われてしまったり、逆にそうした言葉を呼び出すことをもって記述や論証を省いたりしている。文章内に漢語が多く、和語の動詞が少ない、ということにも言葉の重さに屈している兆候が現れている(とはいえ、物事を学問によって捉えようとする人は、そもそも言葉に振り回されることや漢語を使うことを好む傾向があるのかもしれない)。文章内には、ちゃんと書けばもっと面白くなる事柄がたくさんあったのに。ある章と別の章の議論では異なる概念群が使われているが、私の目にはそれらを共通した言葉で記述することができるように思われた。最終章でそれらを統合するのかしらと思っていたらそうはならなかった。
このように並べてみて、余計な装飾をたくさん置いてしまっているから重い言葉のなすがままになっているのかもしれないと思った。文章の総体としてはある程度書かれるべきことを把握しているように見えるが、どの文章や概念がきちんと現象を捕まえるのに必要で、どれが効いていないのかわかっていない。いらない部分を削ぎ落として少ない概念に重さを預けてみれば、どの用語がうまく働いているかきっとわかったはず。その結果として、概念が握らずに使われることになる。
翻って、私自身は言葉をうまく掴んで使っているのか、ということを考えざるを得なくなる。仮に現在は必要十分な仕方で用語を用いていることができているにしても、それができるようになったのは『新潮』でのエッセイの連載と、博論の最終章を書いた頃以降であって、これ以前に書かれた文章、例えば時期的にはそれらのすぐ前に発表されたノーマ京都のレビュー( https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/noma-kyoto-review-202304 )を書いたときには雑に概念を並べていた、と思う。比べてみると、エッセイの連載も博論の最終章は時系列や論述の枠組みに沿っていない文章、あるいはそうしたものを意図的に放棄しようとして書かれた文章であって、ノーマ京都のエッセイは料理を提供された順番で並べたものであった。言葉に振り回されていた本もまた、普通に物事について話す順番で章が展開していた。確かに、情報を並べる枠組みや順序を一旦忘れて、対象に即してそれらを組み直す、というのは、だんだんできるようになってきたとはいえ、とても難しいことだろう。
この本が期待外れだったというより、これが称賛される現状に動揺しているように思う。第一に、もっとすごい著者がいるはず、って夢見ていたかった。そして、自分の文章が受け入れられるか不安になる。私の議論に新規性があるということで、論文を書く余地はあるわけだが、エッセイに違和感を持たれるのは嫌だ!
追記 概念を握って使えるようになった以降の文章でインターネットで読めるものが少ない。以下の展示評はそのひとつだろう https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/hiroto-tsuda-review-202505
ついに終わった……。長かった一学期が終わった。先例がない授業をして、原稿も手を抜かずに資料を読み込むところからやって、胃が痛くなるような文章もきちんと踏み込んで書き、学会発表も自分の考えられるかぎりのことを考え、書籍の原稿の改稿も二回くらいやり、同時に研究用の、そしてこれからずっと使えるような基盤的なAIを一から叩き上げて作った、しかもケータリングしながら。
辛い時期を耐え抜いて、強くなったのかはわからない。記憶を半ば失くしつつもやり切った。ひとまず二日間休んだけど、まあごろごろするのは飽きてきた感じはしてきたけど、でもまあまだやりたくない
(以下、調べれば正確な用語にできるものや訂正できるかもしれない誤りをそのままにしています。初日のフィールドノートのラフさだと思ってください)
祇園祭について下調べしている時に、それが「日本三大祭」だという説明を読んで、ちょっと苛立たしさを感じてしまった。私は静岡県浜松市出身で、ゴールデンウィークには市のほとんどの町が参加する大規模な凧揚げ合戦が開催されるが、やはり田舎は入れてもらえないのだろうか。けれど、祇園祭の現場を見てみて、三大祭という表現は不正確だが誤りではないと思うようになった。
4月に京都に引っ越してきて、祇園祭を見るのは初めて。
バスは、祇園祭の交通規制のため、いつもと違う道を通って市内中心部に向かう。四条大宮のあたりに行くと「意外とみんな普通に生活している」と感じた。今は平日の午前中なのだった。
この日は仏教美術の先生と美術史の院生ともに、鷹山の組み立て現場を見学させてもらいにきた。組み立て初日の午前で、山鉾上部の最も基礎的な骨組みが立ち上がったばかりのところらしかった。Geminiの見立てではこの段階で2トンくらいある。いろんな番号が書いてある木がたくさん積んであった。どこに保存してあるのだろう。
20人くらいの作業服の男性が動いていた。みんなプロの格好して、プロ的にキビキビ動いている。昨年取り付けたところに印がついているとかではなく、測量しながら設営しているし、細かな作業表があったりした。大きな柱同士を麻の縄で、つまり釘でもなくプラスチックの紐ではなく、固定していく。麻の縄でちゃんと柱を固定することだけでもとても力が要りそう。専門家でないとできない仕事だった。
そのうち、作業場の前の車道にぎりぎりの大きなトラックで、大きな柱が二つ運ばれてきた。船でいうところの竜骨に相当するものらしい。一本800kgくらいはありそう。そのトラックに付随のクレーンではなく人の手で持ち上げることが想像できない。
柱は年季が入っている。鷹山は近年復活した山鉾だった。鷹山は江戸期の巡行の際、雨に振られて懸装品がダメになってしまった後、どんどん焼けの時に山鉾が焼失してしまって、しかし2022年に復興している。大きな柱は他の山鉾から譲り受けたらしい。今使っている車輪も他からもらったもので、いつ壊れてもおかしくないので今はクラファンに取り組んでいる。目標金額は1200万円らしい。
作業が行われているのは復興を率いた、保存会の元会長の会社の敷地だった。4階建ての実用的なビル。駐車場かと思ったら、一階の奥のほうに抜ける通路があり、そちらに車が停まっているのが見えた。だとすれば、この作業場は山鉾を組み立てるために確保したのか……?と思ったが、建物は1990年台の雰囲気があるし、復興は最近なのでさすがに違うだろう。
というか、他の山鉾は一体どこで組み立てているのだろうと思った。山鉾がある通りは基本的にオフィスビルや飲食店が並ぶところで、駐車場的なものはない。少なくとも、すでに組み上がった山鉾は道路の真ん中を占領していた。それでも、大通りでない内側の通りならばそれも理解できるけれど、四条通や烏丸通を挟む団体はずっと道の一車線を塞いでいるということだろうか。
普段烏丸通を歩いていると、オフィスビルの間にポツンと古い家屋があることには気づいていたし、その門のところに文化財的な建物の前によく立ててある看板を読んだことがあった。その山鉾、孟宗山もその日は建物を開放していた。入ってすぐのところには、孟宗山や、その御神体の由来を説明するパネルが設置されている。さらに奥には御神体が飾ってあって、数人のおじさまがちまきを売っていた。仏教美術の先生が、飾られている懸装品を見て平山郁夫かしらと呟くと、果たしてそうであるらしい。昭和以降の画家とはいえ、祭りのための集会場に何気なく平山郁夫が飾ってあるものなのか。美術品だ。孟宗、つまり筍をモチーフにした山鉾であるためか、小さな竹林が設えてあった。三面をオフィスビルに囲まれた薄暗い場所に一角に竹林がある。町内会費で固定資産税を賄えるのだろうか。
他の山鉾もビルの合間の路地を奥に入ると、突然神社めいた建物や小さなお社が現れる。ガラスケースの向こうには、1880年台に作られたという華美なタペストリーがある。端の方はほつれている。普段は京都国立博物館に寄託されているという日本刀がある。かと思うと、2011年に作られた三十六歌仙絵巻の懸装品がある。誰かがそれを作る技術を守り続けているということを意味する。
その山鉾のところでは8人くらいの人たちがちまきを売ったり案内したりしていたが、おそらく全員がこの通りの住人や、ここにオフィスを構える会社の従業員というわけではないのだろう。大学でもボランティアスタッフを募集する張り紙を見たことがある。米山俊直『祇園祭——都市人類学ことはじめ』(国会図書館の個人送信サービスで読める)によると、1970年台ごろからすでに、一つの山鉾を共有する単位が10世帯以下のところもあったし、アルバイトによって運営は補助されていると書かれていた。そういった組織運営はもう手慣れたものなのだろうか。
翌日には山鉾の巡行を見たが、そこで行進している人たちは詰所にいる人たちともまた雰囲気は違った。また別でアルバイトを募集しているのかもしれない。観客は、おそらくそのために植えられた欅の木陰で見ていればいいが、7月の真昼の京都を行進するのはそれだけでものすごい仕事だから。白化粧をしたお稚児さんは、神様の遣いとして、健気に手を振っていた。みんな真昼でシラフで、どこにも酒が売っていなかった。
祇園祭は私が知っている祭と比べてとことん重い祭だと感じた。
凧揚げ合戦に参加するそれぞれの集団は、町単位で運営されている。小学校の学区を三等分したくらいの範囲が町で、子供で言うと一学年40人くらいはいるはず。それなりに住民数があって、何かのたびに顔を突き合わせることになる人たちの集まり。大人も子供も公民館に集まってラッパや太鼓を練習する。
その祭りは初子の誕生を祝うもので、夜は小さな屋台を引きながら町内を練り歩いて、初子の家の庭や前でラッパに合わせて集団がぐるぐる回る「練り」をしてオードブルを食べる。昼は、浜の隣にある大きな公園にすべての町が集まって、初子の名前が書かれた凧と町の名前が書かれた凧をあげる。凧の大きさは3m×5mほどで、子供や大人みんなで綱を引き、それをラッパで囃し立てる。初子の凧ではやらなかったはずだが、町の名前の凧では綱切り合戦的なものが行われる。凧の綱同士を絡ませて、互いに綱を切るものらしい。綱切り合戦は大人のもので、私は子供の頃しか祭りには関わっていなかったので詳細はよくわからない。それでも、海沿いの広々とした空に100以上の大きな色とりどりの凧が上がるのは単純に嬉しかった気がする。お金について聞いたことはないが、初子の家がそれぞれ作ったり、綱切り合戦で落ちて壊れることが許容できる程度のものだったのだろう。浜松には当然専門家がいるが、竹と紙で作られる凧なのだ。
ともかく、祭のために維持されている集団があるというより多目的な集団の一つの活動が凧揚げ合戦で、やっぱり子供の誕生はめでたいし、ラッパをBGMに「練り」をするのはアガるし、糸切り合戦は多分盛り上がるし、お酒をたくさん飲めば楽しい。日々の学校や仕事の感じではない。そういえば、凧揚げ合戦の意味は聞いたことがなかったと思う、確か城主の子供の誕生を祝うためだったとかだったかもしれないが、それが話題に上がったことはない。というか、だいぶ発祥さえだいぶ世俗的な話だな。
祇園祭は、ほとんど祇園祭をやるという単独の目的のために集まった大きな組織であり、アルバイトや専門家をたくさん雇って運営するために保存会が日夜奔走しなければ維持ができないだろう。仕事だ。人員やお金がたくさん必要なのは、まず山鉾が大きくて重いから。御神体や懸装品も管理しなければならないし、それらは雨に濡れたりすればだめになってしまうけど、すべてを新調できないほどではない。それらを保管する建物は、田舎のようにただ同然ではないが、ないことはない。神事にまつわるいろんな意味があり、真夏の疫病に際して生まれた行事でもあり、日本の中心である京都が担ってきた伝統がある。
すべての装飾も含め、完成すれば3トン以上はありそうな、歴史そのものを体現するような造形物が立ち上がることにはやはりそれに特有の高揚感があるだろう。凧なんて風に舞うようなものをあげて、酒を飲みながらラッパを吹くのとは全然違う。祇園祭が日本の中でも相当重いものを持ち上げる祭だ、ということは確かだと思った。三大祭であるのかはわからないが三重祭の一つであることに疑いはない。
怪文書を書いてしまった、ということと、怪文書が書けるようになった、ということを同時に思った。
怪文書を書いてしまった、というのは、常識的に読みやすく整った文章でないものが出来上がってしまった、ということの自覚。意味不明だとか文章が下手だとか思われるのは嫌だ。
怪文書が書けるようになった、と思ったのは、一般的にちゃんとした文章がどういうものであるのかを知りながらそれを踏み越えられるようになってきたということであり、定型を外れて不安定でありながらぎりぎり成立する形に文章をまとめられるようになってきたということであり、そうした蛮行を必然性として引き受けられるほど対象についての確信を得られるようになってきた、ということでもある。
これからもちゃんと怪文書を書いていきたいし、それがまったく怪文書ではないことを読み手に納得させられるようになりたい
苦しい日々を過ごしていることに気づいた。ちゃんと自分が感じていることを把握しましょうと他人に言っているくせに、ここ数日の自分の状態を自覚できていなかった。今取り組んでいる文章が本当に気が重い。
まず、その文章が扱う作家について書くのはこれが三回目である。一つ目、二つ目の文章と同じことを書くわけにもいかないが、かといってまったく異なる議論になるのもおかしいだろう。次に、その作家のいくつかの作品を論じることになっているのだが、それらは作家の活動期間の結構な割合について書くことに等しくなってしまう。作家がやっていることのほぼ全体について検討するようなものだ。第三に、その彼は私以上に読み書きが上手い。誤魔化しが効かない。最後に、作家は友人でもあるので、ダサい文章を書いて嫌われたくない……。
怖くて怖くて仕方ない、ということを自覚して少しだけ楽になった
偏差値で会社を選びたい男の話をあちこちでしている。とりわけ学部生向けの、特に演習に近い授業では、自分自身で取り上げる題材を決めさせることになるのだが、自分の関心をよくわかろうとする習慣がない人たちには、それがわかるとなぜよいのかということがほとんど想像できないだろう、と思っているため。
振り返ると今学期はずっと「お前は何がしたいんだ」と聞き続けてきた。これから30年くらい、それを尋ねるのが私の仕事になるのだろう。僕の仕事。
とはいえこの質問を向けるべきは学部生だけではない。ちょうどこの日は一緒に研究してきた友人にも同じ問いを向けることになった。人間は放っておくとなあなあで生きていくことになるから、私にもその都度聞いてほしい。
先週のケータリングに向けてその数日前から緊張していたし、それと並行して本の改稿をしていたし、ケータリングの日からFableが復活したので根を詰めて遊んでいた。しかもまだ方針すら決まっていない原稿があり、それを頭の中に置きつつ前期の授業の最終回に向けて準備していた。
授業開始直前、唐突に鼻血が出て、これはまずいと自覚した。この数日自分で気づくしかたで機嫌が悪かったり、体が重かったり、一回引いたはずの胃の気持ち悪さが戻ってきたり、緩やかに頭痛がしたり、だったことを思い出した。
この日記、最近は書いていてあまり楽しくないな、と思った。自分が考えきれてないことに攻め込む、ということをできてなくて、自分が考えていることを確認するだけになっている。研究者であることとそれ以外がいいループに入ることもあれば、単に切り売りになることもある
濱口竜介『急に具合が悪くなる』見た。苦境に立たされる主人公があり、急な雨があり、散歩がある。長距離移動も、おいしそうなご飯も、問答も、ベッドシーンも、笑える不運の繰り返しも、似たテーマの反復も、希望もある。全部知ってる、でも全部見たことない。シネフィルのための夏休み映画!
岡﨑乾二郎『芸術の発見』読んだ。芸術を「固有の遡行的時間の生成」とする中心的な主張に同意するが、時間という、それ自体はすべての事象にかかわる形式に著者が振り回されているようにも見えた。「予期された帰結」のストラザーンやセントラルの料理で、時間を分離して展開し直してみたい!
人文系研究者の友人と自分の気持ちがわからない人々の悪口で盛り上がった。
友人の知り合いで、一般的に有名な大学の理系の大学院を出て、今でもあまり落ち目でなさそうな大きなメーカーで働いている男が、「会社にも偏差値があったらどの会社に入るか迷わなかったのに」的なことを言っていたらしい。
きっとこの人はすでに偏差値の高そうな会社に入りたくて今の会社にいるのだろうし、おそらく偏差値が高そうな女性と結婚するのだろう(男性であれば結婚するほうが偏差値が高いと思っていそうなので)。しかし、自分の気持ちがわからないあなたは、会社も結婚相手にも結局どこかで違和感を覚えて、だけど違和感があること自体すらうまく捉えることができないのでぼんやりと苦しむことになるだろう。
とはいえ、調子よく自分と異なる境遇にある人を貶しながら思ったのは、人文系の研究者は、自身が研究対象から感じ取ったものを学術的な言語で表現することのプロとして訓練を受けているわけで、そのような職業的なハビトゥスがないことで他人を論評するのはあまり品がないことだとも思った。
初めてケータリングした。単純に料理を出す実力はないので、(おしのぎを提供しつつ)三種類のおいしさについての研究発表を聞いてもらった上で、きゅうりを使って味を感じ取るためのワークショップをして、きゅうりのフルコース。きゅうりの水餃子とフェンネルの水餃子、きゅうりの薄切り、きゅうり丸かじり、きゅうりの薄切りとミント、うりの塩揉み、きゅうりのにんにく炒め、鱧きゅうり、きゅうりと豆腐と茗荷の味噌汁・きゅうりの塩揉みと陳皮・きゅうりの泡菜・ごはん。
きゅうりのミントにみんな驚いていて、驚かれたことに驚いた。だけど、確かにきゅうりとミントはそれほど一般的ではないかもしれない、と納得した。
それに比べて、きゅうりと豆腐と茗荷の味噌汁を「温かい冷や汁ですね」と言われた時には困惑した。冷や汁のことがまったく念頭になかったので意表をつかれた、ということはわずかにあったが、なぜきゅうりと豆腐を主な具にして、茗荷を載せただけの味噌汁を、いろんな文脈を圧縮した固有名詞を捻った形で名指さなければいけないのかわからなかったから。
今考えれば、親切に作り手の意図を読んでくれようとしたのだと思うし、その親切には感謝するしたい。だけど、そのとき反射的に思ったのは、「みんな料理を料理名に当てはめて理解したがるし、だからきゅうりにミントを合わせるとかきゅうりを味噌汁に入れるくらいありふれたことができないんだろう」ということだった。これはこの場を超えて、私が取り組むべき課題。
台風の後の鴨川で、オオサンショウウオと、オオサンショウウオがちらっと見えたあたりに集まりどこでどんなふうに見えたか教えあう人たちを見た