2026年1月17日(土)
こんなふうにぐだぐだできるのももう終わりなんだろうか。不安だ。
こんなふうにぐだぐだできるのももう終わりなんだろうか。不安だ。
連載がないと告知をすることが少なくて、自分が仕事をしているか不安になる。
東京はそこらじゅうで東京的な会話が繰り広げられている。昼の定食屋で、テレビドラマの撮影の予算が毎年減らされていて大変、みたいな話をしていた人がいた。
今日食べた料理、否定形でしか書けなかった。筆力不足。強いて言えば、すべての食材が洗ってあるような味がした。
ふとカシスオレンジを頼んだら懐かしい味だと感じた。
昼ごはんを回転寿司で食べながら、気づいた。昨日は新年会で寿司屋に行って、明日は友人とちょっといい寿司屋に行く予定がある。週に三回寿司を食べるのは人生で最初で最後だろう。
飲み会の席で友人たちが真面目に議論していた。個人的にも思うことがある論題だったが、話を持ち出した人の主張があまりに雑だったので、ずれた認識を修正する労苦を考えて嫌になり、他の人が反論してくれるのを適当に相槌を打ちながら聞いていた。不義理だと思うが、そんなに頑張れない。
今日は寝不足で特に機嫌が悪かった。
川鵜を初めて見た。汽水域の川に小さな鵜が二羽浮かんでいた。コンクリートの護岸を嘴でカンカン突いていた。ちょうど干潮の時間だったので、壁に張り付いている貝が水面に上がってくるはずで、それを食べているのだろう。激しく突いていて、嘴が割れないか心配になった。目がぎょっとしていて、なんだか間抜けな顔している。
その後でもう一度その川を通りかかると一羽だけ成鳥がいた。でかい。すぐに飛び去ってしまったが、ちょうどこちらのほうに向かって飛んできて、その時すごく大きな音でバサバサと羽が鳴っていた。それほど大きな音が鳴るのは鵜の羽の性質によるのかもしれない。
電車の中で鵜飼について調べた。不思議な生き物だと思った。
友人が書いた文章を送ってもらって、ひとり傷つく。それは、具体的なもろもろの事象を枠組みで単純化しないような、細部の明瞭さを目指したような文章だった。友人は私と同じ分野の研究者であるゆえに、自分の文章との違いが明白に感じられた。
友人の文章を否定的な仕方で言い換えてみれば、それは語りそれ自体としての意義を明示的にせず、現実の曖昧さや緩さがそのまま取り集めて提示されている、とも言えるのかもしれない。しかし、ひるがえって、必然性で飾り立てないような、複雑味のある文章を私が書けない、という自分のつまらなさが自覚されて辛い。
それどころか、そうした散文的な文章をちゃんと読むことすら、私には難しいではないか、と思う。私の見解では、わかりやすい意義や明瞭さなどに支えられていない、散文的な文章を平気で読みこなす人こそが本物の読書家である。私は最低の読書家だ、と思って落ち込む。
かといって私は、息をするように必然性や意義のある文章を書けるほどの直感があるわけでもない。散漫な文章をその都度手をかけて削って整えているような気がする。そちらにも劣等感を覚える。
そんなことを考えながら、傷つくと傷つけられる、能動と受動は逆になっているけど、同じ事態を指す、と思った。
以上の日記を書いた後もうしばらく考えていると、さらに気づくことがあった。素材の複雑さがそのままになっていて、作為的な切断が見えない文章を私が許容できないのは、僕がそのような文章を書いてしまえば他のすべてのフードライターと同じになってしまう、という恐怖があるからだろう。扱う対象から自分が書くものの価値を得られないゆえに、それをきちんと整えることに執着してしまう(もちろん、普通のフードライターのように私の研究対象を書いてしまえば、研究対象それ自体の価値もよくわからなくなるだろう)。よく考えてみれば、この日記でさえ、簡単にであれ素材を丁寧に切り揃えて出す試みとも言える。
こういった怖れなく文章を書ける人が羨ましいとも思った。
だんだん生成AIの使いどころの感覚がわかるようになってきた。間を埋めるのは上手。嫌だった文章が一瞬で書けた。
私が依拠する理論的潮流の源泉の一つである著作が邦訳されたので読む。不思議なところは、解説でまとめられている主張が極めてクリアカットであるにもかかわらず、本文が難解すぎてどうやってその解説を引き出したのかさっぱりわからないこと。その理論的潮流の他の議論と比較しても妥当だと思われるし、本文の端々に解説につながる部分があるので、解説が間違っているとも思えない。しかし本文のほうがまったくわからなかった。
論理表現リストを使って文章を推敲した。論理表現リストとは、「同一視する」という項目に、「一致させる」、「対応させる」、「重ね合わせる」など、「AはBをもたらす」という項目には「ことになる」、「導かれる」、「帰結する」などが書かれている表であり、同じような表現の連続を避けたり、捻った文の展開を滑らかに進めたりするために作ったものである。生成AIはまだ、論理表現リストをこちらから渡してもうまく文章を推敲してくれない。こういう推敲にはいくらでも手間をかけてしまう。
嫌だった作業を片付けてうきうきだったので夕方の街をお散歩した。スーパーに食品のトレイを捨てに行き、トレファクを見に行った。
この夜はなかなか眠れなかった。そもそも眠りたくない、とちょっと感じていた。報復性夜更かしに似ている感じがするが、違うのは今日はたくさん働いて、一仕事終わらせた、と感じた日だったということ。報復性夜更かしと逆の状況。とはいえ、仕事が終わって高揚感があった、というわけでもない。自分に対して適切に仕事が終わった後の労いを行なっていない、という感覚かもしれない。
メルカリでいいなと思って眺めていて、けれど気分が落ち込んでいた時期だったので買いそびれてしまっていたシャツがあった。その後時々思い出してはメルカリを探していたのだった。それを一昨日ZOZO Usedで見つけた。安かったが、コンディションDだった。とりあえず買ってみた。
そのシャツが今日届いた。胸ポケットにうっすら染みがあった。見えるし隠せない位置だった。ZOZOのスタッフが染み抜きしても落ちなかったからこそ、安く出されていたのだろう。そう思いつつも、ひとまず懸命に染み抜きを試みた。そのまま夜ごはんを食べながら、暗い気持ちになっていた。まあ運試しだ、と思った。結局、漬け置き洗いから引き上げてみると、うまく染みが落ちていた。今年はこの遊びに挑戦しよう。
冬休みの間ずっと、生成AIに文章を読ませて遊んでいた。正確に言えば、ずっと遊んでしまっていた。研究者の役割を与えて批判的なコメントを書かせたり、校正の役割で校正させたり。校正にはけっこう使えるものの、内容の読解はかなりお粗末だ、と思いながらも、色々とプロンプトを試して、様々な角度から意見を求めてしまう。文章を読んで意見をくれる人に飢えているのだと思う。
母の友人が自殺で亡くなったらしい。数年前には友人が脳卒中で亡くなったと言っていた。母は死を少しずつ自分のものとして引き受けるような年代になりつつある。
冷蔵庫の中にカーロボネロがあり、白菜や大根を買う気になれなかったので、イタリア風というつもりで、餅、鶏肉、カーロボネロ、里芋のお雑煮。オリーブオイルやにんにくを入れず、鶏肉と里芋があったせいで、芋煮的なお雑煮でもあったのかもしれない。
帰省して、他の人が昼寝している間に領収書の入力。これで確定申告でやるべきことの大半が終わった。帰省の恒例になりつつある。
何を書けばよいかわからず、なかなか手がつけられなかった短文を書き始め、書き上げた。関係ありそうな情報を集めて、並び替えて、語りをなんとか作り上げることができた。来年最初の締め切りを片付けて一安心。
ボードゲームを囲む忘年会。頭を使う遊びは嫌いだと思った。普段から頭が疲れ切っている。言葉遊びみたいなゲームならよいけれど。
今年の振り返り、日記編。
今年はありとあらゆることを真剣に考えて、喜怒哀楽が激しかった。
振り返ると、ほとんどすべての文章について、怖さを感じながら書いていたようだった。恐怖の底に触れるような文章を書き続けていたのはよいことだ。
そして、そのような恐怖があっても書けるのは、それ以上に信じているものがあるためだろうと思った。そうだとすれば、ある意味僕はもう孤独ではないのだろう。
今年の振り返り、X編。私もXはそんなに使わなくなったし、私のフォローもそうだが、それでもたまにXを見たり書き込んだりすると嬉しかったり印象深かったりすることがある。そういうものが「いいね」に記録されているので、年末には「いいね」を見返すことにしている。
Xにおいて今年一番嬉しかったのは、樋口直哉さんがフォローしてくれたことを受けて「インターネットをやってきて一番嬉しかったのは樋口直哉さんにフォローされたことかもしれない。2010年代以降を生きてきた料理愛好者として、樋口さんから数え切れないほどのことを学んできた」と書いたら、「マジですか。藤田さんのテキスト、興味深く拝読しております、、、。」( naoya_foodlab 2025年8月18日)と書いてくれたこと。私は樋口さんの書いた文章を読み、こんなふうに料理を明晰に語りたいと思いながら研究してきたので、感慨があった。
一番動揺したのは、永田康祐さんが「来年度に食べ物じゃないテーマで新作を準備する予定で下調べを進めているんだけど、不案内な分野の勉強や調査をどうやるのだったか忘れてしまって途方に暮れています。いろんなことを自由に調べたり考えたりしたくて今の生活を選んだはずだったんだけどな。こんなはずでは。本末転倒ですわ。」( knagata_org 2025年11月30日)と書いていたこと。新しくものを調べたり考えたりすることほど大変なことはないのに、それに情熱を燃やすことができるのはすごいと思った。そしてそれを怠っている自分を恥じた。
仕事が納まってきたという気分がようやく感じられるようになったので、今年の反省を始めつつある。今年書いた文章のうち、だいたい1/3くらいは今振り返って結構意義があると思った。1/3くらいを自画自賛できるなら上出来だ。
来年度の授業に向けていろいろ書いた。ふと、先生の一人に言われたことを思い出した。ひとが普通の言葉をきちんと使って、物事がきちんとわかるようになってほしい、という私の願いは、一方で言葉を酷使すること、他方で言葉を厳密に統制することにつながるが、後者を主軸にすることはまさしく権威的な人文学者の仕草である、と。
最近私がやっているのはまさにそういうことだと思った。だけど私としては、私がやっている程度の型通りのことはできるようになった上で、そのやり方から離れて言葉をもっと自由に酷使できるような人間が見たいなと思う。
いや、それだけではないかもしれない。私が私自身の手で型に嵌めた言葉は、そもそも私や友人が自由に使ってしまった言葉をいずれも後追いで捕まえたものだから。私自身でも言葉に無茶をさせているし、親しい人々にもそのような言語の使用を促している。
牛肉の赤ワイン煮込みがうまく行かなかった。勘所を抑えて簡略化していたつもりが、全然勘所を抑えていなかったのだろう。長らくレシピ通りに料理を作っていない。レシピに学ぶ習慣を失くしてしまい、成長がない。
言語のねばっとした感じとかごろっとした感じをそのまま引き受けて編まれた文章を読むと、私は言語を道具として扱っていると思う。
シーフードレストランメヒコ守谷フラミンゴ館。フラミンゴがいるところでカニを食べる。多くの人々が当然かのように振る舞っているが、なんだか納得できない。世界に少しずつ参入していく子供はこんな気持ちでいろんな物事を見ているのだろうと思った。
今年中の文章の締め切りが終わったので今年の反省をしよう、と考えたものの、なんだか締めくくりする気になれなかった。1月半ばに嫌な締め切りがいくつかあるせいかもしれない。難儀な性格だ。
仮のゲラにする前の本の修正を終えた。最後の作業は、WorkflowyからGoogleドキュメントに文章を移して整えること。以前すでにWorkflowyからGoogleドキュメントに移した上で、そちらで表現などをいじってしまっていたが、編集者に大幅に書き換えるよう助言をもらったので、そのGoogleドキュメントからWorkflowyに文章を再度移していたのだった。というのも、小手先の修正はともかく、すでに書いたものをばさっと捨てたり、順番を入れ替えたり、新たに書き加えたり、といった本格的な執筆は私にはWorkflowyでないとできないため。そのようにして書き直した文章をGoogleドキュメントに戻すには、消えてしまった注を復元して本文に入れたり、参照文献の書式(英語文献の斜体など)を整えたり、といった作業が必要となる。
ほとんど徒労だったと思う一方で、文章をちゃんと書き直すにはこうするしかなかった。
火曜日に行ったsetoの料理について、昨日の夜と今日の午前で日記を書き終えた。考えるべきことが多いと感じて、なかなか手がつけられなかったのだった。今回はちゃんと分析しきれなかったのでもう一度行きたい。
最近考えていたのだが、やはり「ライフヒストリー」なるものに興味を持てない。人生の話には興味がない。非ライフヒストリー的なものについて考えるために必要なかぎりでライフヒストリーが面白いこともある、と考えているようだ。
時系列的な語りに懐疑的なのも似ている。時系列的な語りは人間の理解の仕組みのためにある程度必要なものだが、時系列的な語りは非時系列的なもののためにあると思っている。
企業の人から「とりあえず話してみましょう」的に呼ばれることがある。けっこう不思議なのが、そういう機会に自分のことを長々と話してくれる相手方が多いこと。僕がベンダーで相手がクライアントであるような顔合わせならば、クライアントの話をよく聞くことは当然だと思うけど、なぜわざわざ私を呼んだ上で、私の研究について尋ねたりせずに自分の話をするのだろう。私には自分の知識を商売にする特別な動機はないので、結局その人の話を「へー」と思いながら聞くだけになってしまう(と言いつつ、サービス心から、その人たちの商売に関係づけるような提案をしてみることもあるのだけど)。
仕事をする気が起きなかったので、調布飛行場のカフェに行った。大学から歩いて30分。大きな公園を突っ切って、飛行場の外周を半周する。平日の昼間の公園にはばらばらと人がいる。冬の青空と黄色に輝く原っぱ。けっこう頻繁に飛行機が飛び立っている。釣り竿を持った人が空港のロビーに入って行った。定期便は伊豆諸島に向かうらしい。いろんな人生がある。カフェは食堂とフードコートとカフェの中間みたいな感じで、空港職員のような人と近所の住人のような人がいた。仕事するのでもぐったりしているのでもない時間は久々だった。