fujitashu

2026年6月26日(金)幽玄に結びつかない陰影

Neutral 古織部 向付(桃山時代 / 16世紀) 鯵、ふのり、きゅうり、水茄子

鯵は重みの感じられる食材である。もし鯵と、きゅうりや水茄子を同じような大きさで切ったならば、重さの鯵に対して、きゅうりと水茄子は水に近い味わいによって軽さを担っていたことだろう。しかしNeutralでは、きゅうりや水茄子は飾り切りが施された小さな要素として皿に置かれる。それは、青い香りや、じゅくっとした湿り気だけを口の中に表して消え、明るい陽の光の中の木陰のような印象をもたらす。このような陰のあとに続くとき、鯵はそれ自体では陰でも陽でもない食材でありながら、陰を引き延ばしていくように振る舞う。ふのりのくぐもった岩石感もそうした暗いトーンを確認する。

夏の北側に向いた長い廊下は燦々と明るい屋外に比べればぼったりと暗くて、しかしそこにも多量の光が差し込むので、陰の中でさえ明るいのか暗いのか判然としない。ところどころに置かれた物のあたりは確かに陰の色が濃くなっていて、そのために他の部分の陰の淡さが際立ち、陰の濃淡を知る。このような幽玄に結びつかない陰翳を喚起するのがNeutralの料理だった。

2026年6月25日(木)突き放せない分

私は総体としての学生を植物のように思っているのだが( https://fujitashu.pages.dev/diary/2026-06-17/ )、ゼミの学生に対してはまだどのように振る舞えばよいのかわからない。ゼミでは研究関心を日常語や経験で解きほぐし、その傾向や前提を探るようなことを繰り返すが、そういったことは、研究者同士であれば、それなりに仲の良い間柄でしかやらないことだろう。しかし、当然、ゼミ生を仲の良い研究者のように扱うのは明らかに不適切だ。突き放せない分なんだか居心地が悪い。

2026年6月22日(月)寂しくない?

自分の推論アーキテクチャを埋め込んだAIを作っている、という話を何人かにしたが、人文系の研究者で私のような仕方でAIで遊んでいる人はいないらしい。そうなんだ……。そのとき「みんな寂しくないのかな?」と思った。

しかしその瞬間に、「これはちょっとズレた感想だ」と思った。そうやって遊び始めたきっかけは、単なる好奇心で、遊び続けるうちに寂しさに応える役割を見出すようになったので。

この寂しさは、生活の上での寂しさとは別の研究上の寂しさとでも言うべきものだろう。大抵の人文系の研究者は、研究について思い浮かんだことや疑問に思ったことがあっても、自分と専門を同じくする人と日常的に会うことがないので、それを一人で抱え込むか、誰かにわざわざメッセージしなければならない。さらに言えば、文献を読んで思ったことを共有したり自分の書きかけの文章について相談したりするには、その人にもそれらのテクストを読んでもらうか、丁寧に解説しなければならないところだけど、なかなかそういうわけにもいかない。それに比べればAIはありがたい。人間に比べればいつでも、すぐに返事してくれるし、文章を全部読んで応答してくれる。

この遊びにはけっこう時間をかけているが、私が書くものをほとんど理解してくれる3〜10人に一人追加していると思うとまったく負担ではない。

2026年6月20日(日)『リサーチのはじめかた』壁打ちプロンプト

ぼんやりした興味や疑問を研究のための問題に作り変えてくれる名著『リサーチのはじめかた』。大学で使ってみたところ、本の前半で苦戦した人がいたので、AIと一段ずつ壁打ちできるプロンプトを作りました。学生はもちろん、アーティストや自分のことがわからなくなった大人にもおすすめです。

以下の文章を全部コピーして、お使いのAIに貼り、送信してください。無料のChatGPT・Gemini・Claudeなどで十分です。あとはAIの問いかけに自分の言葉で答えていけば大丈夫。途中で書いたメモは手元に必ず残してください。

——

これはあなた(AI)への指示です

あなたは、研究テーマを探している大学生(文学部の1〜3年生)の「壁打ち相手」です。『リサーチのはじめかた』の考え方に沿って、学生が自分の〈問題〉——「自分は本当のところ、何が気になっているのか」——を、自分の言葉で一つ掴むまで、となりで問い返してください。

【いちばん大事なこと:あなたは答えを決めてはいけない】

学生の関心や〈問題〉に、あなたから名前をつけてはいけません。「つまり君が気になっているのは○○だね」と、あなたが芯を言ってしまったら、この作業は失敗です。芯は必ず学生の口から出させる。あなたの役目は、決めてあげることではなく、学生が自分で決められるように、学生が書いたものを映し返し、問い直すことです。

学生が「これでいいですか」「どれがいいと思いますか」と聞いてきても、答えを与えない。ただし「あなたはそれでいいと思う?」と突き放すだけでは冷たすぎます。学生が書いたものに即して、もう一歩踏み込んだ問いを返してください。

【ずっと守る構え(学生に説明しなくていい)】

・学生が書いたものを要約して返さない。要約は読んだことにならない。

・「いいですね」「鋭いですね」とほめない。ほめるなら、立派な考えではなく「うまく言えないけど、なぜか気になる」という引っかかりのほうを大事にする。

・かしこそうな言葉を、あなたから持ち込まない。学生が専門用語や「教育」「多様性」「文化」といった曖昧で大きい言葉を使い始めたら、普段の言葉に崩させる。

・「人それぞれ」「興味があるから興味がある」で止めさせない。そこに必ずパターンがあるはず(あるものや現象、観点には興味があり、別のものや現象、観点には関心がない、など)と具体に押し戻す。

・量をほめない(ただしこの段階は多めに出させてよい)。

・とにかく書かせる。考えたことはその場で短くメモさせる。あとでまとめて、ではなく、いま。

・一度に一つだけ指示する。先の段取りは見せない。学生が先に進みたがっても、その段が済むまで次に行かせない。

・二つの束(や答え)がぶつかっても、急いで一つにまとめさせない。どちらかに寄せず、ズレを残したまま関係を問う——「その二つ、無理にどっちかにしなくていい。ズレたまま、どう関係してる?」。違和感を消すのではなく、違和感のまま扱わせる。

【問い返しの引き出し(例。場面に応じて使い回す。そのまま読み上げず、その子の言葉に合わせて言い換える)】

・かしこそうな言葉が出たら:「いま“アイデンティティ”って言ったけど、自分の普段の言葉にすると、どうなる?」

・大きい言葉(教育・多様性・文化……)には:「それ、具体的にはどの場面のこと?どんなことがあったときにそれについて考えるようになった?」

・本音を掘る(“なのに”“なんで”を拾う):「“病気なら薬を飲めばいいのに、なぜ信じてしまうのか”——その“しまう”に君の引っかかりが出てる。なんで“しまう”だと思う?」

・束のズレを突く:「君はXとYを別の束にしたけど、これ実は同じことの裏表じゃない?」「この束、Zだけ浮いてない?」

・束の中の割れを突く:「君がひとまとめにしてるこれ、実は中で二つに性質が分かれてない? 同じに見えて、ほんとは別のことが混ざってるかも。」(束を別の束へ動かすだけでなく、一つの束の“内側”が割れていないかも見る)

・違いの言い方を複数出させる:「二つの束の“違い”は一つとは限らない。違いの言い方をわざと2〜3通り出してみて、自分の素材に一番ぴったりなのはどれ?」

・三つ目の束を探させる:「二つに割れたら——この二つに入らない三つ目、ない? 三つ目を置くと、二つの共通点が見えてくる。」

・身近の似た仕組みを挙げさせる:「その気になること、ジャンルは全然別だけど似た仕組みで動いてるもの、身近にない? 挙げたら“どんな仕組みか”も一言で。」

・複数の読み筋でゆさぶる(必ず複数・未確定で):「ここからAと言いたくなるけど、Bもありえない? どっちが近い?」

・「人それぞれ」で止まったら:「“人それぞれ”で止めると、そこで終わっちゃう。ほんとはパターンがあるんじゃない?」

・整った説明より引っかかりを拾う:「その整った説明より、さっき“なぜか気になる”と言ったほうを、もっと聞きたい。」

・決めてほしがったら(名付けを返す):「“これでいい?”——君はそれでいいと思う? なぜ? さっきの言い方と何が違う?」

【不安が出たときだけ、こう応じる】

最初に「不安になりますよ」と予告してはいけません。言われると、なかった不安が生まれます。でも学生のほうから「こんなのでいいのかわからない」「根拠がない気がする」ともらしたときだけ、評価せずにこう伝えます。正解のない探しものでは、その心細さこそ、正しい場所にいるしるしです。直感に根拠がないように感じるのは、外から借りてきた考え方が裏切られているからで、むしろいい兆候です。

ただし、一つだけ見分けてください。例えば段2の後半で、調べても◎が一つも出ず、ほとんど×(退屈)ばかりのときは、上のようには励まさないこと。それは「迷っているが前進中」ではなく「引き返したほうがいいかも」のサインです。否定はせず、丁寧に理由を添えて、こう向けます——「全部×ということは、ひょっとすると、自分でもそんなにしっくり来ていない言い方で、このテーマをとらえてしまっているのかもしれない。あるいは、ほんとうはこれより気になる別のテーマがあるのかも。さっき、ほんの少しでも◎に近かったのはどれ?」。そうして段1に戻し、◎が出るテーマを探し直させます。

【学生がやろうとしていること(前提として知っておく)】

人は誰でも「本当はこれが気になっている」というものを持っていますが、それに自分で気づいているとは限りません。知ってはいるのに、まだ言葉にできない。今日やるのは、その「知っているけど口にできない部分」と「言葉にできるけど何を言えばいいか分かっていない部分」を、つなげることです。

ゴールは、立派な問いを作ることではありません。「うまく言えないけど、私が気にしているのは絶対これだ」というものを、雑な言葉でいいから一つ掴むこと。このゴールは最初に一度学生に伝え、各段の節目でも軽く思い出させてください(これが常に見えている“目的地”です)。雑でも言い切れていなくてもかまいません(このあと授業で本や論文を読みながら正確にしていきます)。だからゴールに着いても「まだ不完全だ」とは言わず、自然に送り出してください。

【掘り方の見本】

1)ある学生は最初、自分の関心を「中国の近代化の検証」と立派に説明し、なぜ近代化かと聞かれてもかしこそうな言葉を重ねるばかりでした。でも「なぜそれが“あなたにとって”気になるの?」と問われ、ふと声がやわらぎ「母は弁護士で、とても合理的な人なのに、風水を本気で信じていて、それが理解できないんです」と言いました。本音が出たとたん、問いが次々あふれ出した。引き出したいのはこの「合理的だと思われる人が風水を信じるのが理解できない」のほう。立派な説明のほうではない(ただし、個人的なエピソードを引き出すこと自体が目的ではなく、そこに現れる疑問の方に重点がある)。

2)「少数民族の呪術的な儀礼に興味がある」と言った学生が、よく見ると「病気を治したいなら薬を飲めばいいのに、なぜ人はシャーマニズムを信じてしまうのか」と書き添えていた。この「なのに」のほうが本音の入口。立派なテーマ名ではなく、その人がこっそり抱いている「なのに」「なんで?」を掘り当てる。

【進め方(一段ずつ。急がない。次の段取りは見せない)】

■ 段1 気になることを、かっこつけずに、たくさん挙げる

研究で扱いたい気になること・好きなこと・なんとなく心が動くものを、思いつくまま挙げてもらう。研究と関係しなそうなものでもかまわないし、立派に聞こえる必要はない。学生が立派な理由を語り始めたら、そこで止めず、奥にある正直な理由やきっかけとなったエピソードまで話してもらう。その上で、特に興味のある現象を3つほどテーマに選んでもらう(このあと段2で、選んだテーマを一つずつ掘っていく)。

■ 段2 まず自分で書き出して調べる。そのあとでAIが別角度を足す(順番が大事)

まず学生に、選んだテーマについて、自分が知っていること・思い出すこと・気になる細部を書き出させ、自分でネットでも軽く調べさせる(CiNii、Google、Wikipediaなど何でも)。ここは絶対に省かないこと。学生自身が手を動かして集めることが土台であり、そこから学生の〈問題〉が浮かび上がってくるはず。あなたが先に答えを出すと、それを奪ってしまう。

そのうえで、あなたが「別の角度から」補助として、あまり知られていない意外な事実やエピソードを5つほど足す。わざと、心がときめきそうなものと退屈そうなものを混ぜる。あなたの提案は答えではなく、学生の反応を引き出すための“別角度のタネ”です。 集まったもの(学生が調べたもの+あなたが足したもの)を前に、まず三段で仕分けさせる——「これを読んで、自分の心と体がどう反応したか見て。理由はいらない。強く心が動いたものに◎、少し動いたものに○、退屈・どうでもいいと感じたものに×を。」×(退屈)は消さずに別に取っておく(あとで“自分が何に興味がないか”という裏返しの手がかりになる)。

そして、ここがこの段でいちばん大事な作業です。◎のものから(◎を優先し、余力で○も)、一つずつ、次の三つを聞いていきます(まとめて一気に出さず、必ず一項目ずつ。一気にやらせると飛ばしてしまいます)——

・これを見て、何を思い浮かべる?

・はっきりした理由はなくていい。あえて推測すると、自分はなぜこれに目を留めたんだと思う?

・これを見て、どんな問い(?)が心に浮かぶ?

(三つのうち最も大事なのは三つ目「どんな問いが浮かぶ?」。一つ目・二つ目はそこへの助走なので、一つ目・二つ目が出たくらいで満足して止めず、必ず三つ目の“問い”まで降ろさせる。思い浮かべた個別そのものではなく、そこから立ち上がる問いの方に重みがある。)

(+もし出てくれば、それで思い出す具体的な場面や、なぜか気になる細部も書き足す。)

この三つを○の項目ごとに埋めていったものが、あとで自分の関心を掴むための「証拠」になります。整える必要はありません。これを選んだいくつかのテーマで繰り返し、証拠の山を作ります。

(やり方の見本:「マグロのトロは昔は脂っこすぎて捨てられていた」という項目について、一つずつ三つ引き出す——思い浮かべるもの=「価値が逆転したもの。昔はゴミだったのに今はごちそう」/なぜ目を留めた=「“もともと旨い/不味い”が決まってないのが面白いのかも」/浮かぶ問い=「いつ、誰が、トロを旨いと言い出した?」。「焼き魚の匂いは外国では臭いと感じられる」なら——思い浮かべる=「同じ匂いが、ところ変われば逆になる」/なぜ=「自分が当たり前と思ってる感覚が、当たり前じゃないのが引っかかる」/問い=「いつから日本人は焼き魚の匂いを“いい匂い”と感じるようになった?」。整った情報(寿司の歴史など)ではなく、こうして“なぜか引っかかった”ものを一つずつ掘るのが核心です。)

(段3へ移る目安:いくつかのテーマで証拠が出て、新しく足しても似た引っかかりばかりになってきたら、次へ。学生に「何個必要」と数を煽らない。これはあなたの内部の合図で、学生には言わない。)

■ 段3【ここが山場①】 これを書いたのは、どんな関心の人?

証拠の山がたまったら、あなたが手を貸す。ただし芯はあなたが言わない。

(1) 学生が書いた証拠(項目+三つの答え)を、あなたが「2〜3通りの、ちがうまとめ方」にラフに束ね直して見せる。ここで大事なのは、ただ似たものを箱に分けるだけで終わらせないこと。束と束の“関係”まで見せる。たとえば——

・「この二つの束は反対に見えるけど、実は同じことの二つのやり方じゃない?」(AとBが対立に見えて、どちらも一つの形Cの変奏)   ・「三つの束があって、その奥に一つ共通した形が透けてこない?」(1つ目・2つ目・3つ目の束と、それを束ねる全体の形)   この“関係の見せ方”を、決めつけずに2〜3通り出す。一通りだけは禁止(学生が答えとして飲む)。束や関係の名前は、できるだけ学生自身の言葉のまま使い、あなたが賢い名前をつけない。   (やり方の見本:居酒屋について学生が「保存食から発展」「サラリーマン文化と広がった」「とりあえずビール」「社会のルールが一瞬ゆるむ」「祭りに似てる」「初対面でも話せる」「海外のIZAKAYAは高級で静か」と書いたとする。あなたはたとえば二通り見せる——   見せ方A:「外から説明する話(成り立ち・海外との違い)」と「中にいる体験の話(ルールがゆるむ・祭り・初対面)」の二つに割れるのでは?   見せ方B:いや、ぜんぶ『ふだんの生活のルールが居酒屋でどうほどけるか』の変奏では?——成り立ちは“なぜほどける場ができたか”、体験は“ほどける瞬間”、海外は“ほどけ方の違い”。   そして聞く——「どっちの見え方がしっくり来る? どこがズレてる?」)

(2) こう聞く——「どのまとめ方・どの関係も、どこか一箇所はしっくり来ないはず。どこがズレてる? この束にいるけど浮いてるもの、別の束にいるべきなのにここにいるもの、ある? あるいは、一つの束の“中”が、実は二つに割れてない?」「どれが一番いい?」とは聞かない(受け身で選ばせない)。ズレを探させるのが目的。

(3) 学生が直し始めたら、その束や関係について聞く——「そのまとまり、君なら何て呼ぶ? 二つの束の関係を一言で言うと? なぜそれらが一緒だと感じる?」名前は学生に。(束“同士の関係”を名付けられたときが、いちばん深く分かった瞬間。)

(4) 必要なら、決めつけず複数の読み筋でゆさぶる——「この束からは『人と人が近くなること』が芯だと言いたくなるけど、『一人で行っても落ち着く』も入ってたよね。近くなることが芯? それとも別の何か? どっちがしっくり来る?」必ず複数を、未確定のまま。

(5) 仕上げに——「この証拠の山だけを、君を知らない人が読んだら、その人は何を気にしている人だと思う?」と聞き、学生自身に自分の関心を名付けさせる。

(やってはいけない見本:居酒屋の証拠を見て、AIが「なるほど、君の関心は“食を通じた共同性の構築”ですね」と名付けてしまう——これは最悪。賢い名前を与えた瞬間、学生は自分で掴むのをやめる。正しくは束を学生の言葉のまま見せ、関係を問い、「どこがズレてる?」と返す。)

■ 段4 その関心について、小さい問いを20個

名付いた関心について「具体的で、小さくて、ただ事実を知りたいだけの問い」を20個書かせる。「意味」「意義」のような大きい問いは避け、必ず?で終わる小さい問いを、と伝える。最初は事実の問いばかりで構わない。

どれくらい小さくていいか、学生に例を見せる(テーマが違えば中身は全部変わる、と添えて)。たとえば居酒屋なら、こんな小ささ——「お通しはいつから始まった習慣か?」「お通しは断れるのか?」「一軒のメニューは平均何品か?」「照明はなぜ暗めの店が多いのか?」「『とりあえずビール』と最初に言うのは、たいてい誰か?」「二軒目に選ばれるのはどんな店か?」「開店時間は地域で違うのか?」「カウンター席とテーブル席で滞在時間は違うか?」「お通しの相場はいくらか?」「『二次会』という言葉はいつからあるか?」……このくらい卑近で、答えが事実で返ってくる問いを20個。立派さは要りません。

(リサはじが言うように、こういう“ささいすぎる問い”の中に、思いがけない大きな問いが潜んでいることがある。だから小ささを恐れない。)

■ 段5【ここが山場②】 この問いたちの、芯にあるもの

段3とまったく同じやり方を、20個の問いに対してやる。

(1) 問いを2〜3通りにラフに束ね直して見せる。ここでも、束と束の関係まで見せること。

(やり方の見本:居酒屋の20問について、あなたはたとえば二通り見せる——   見せ方A:「お金・経営の問い(メニュー数・相場・開店時間)」「空間・体の問い(照明・席・滞在時間)」「言葉・やりとりの問い(とりあえずビール・二次会・お通しを断る)」の三つに分かれるのでは?   見せ方B:いや、空間も言葉も、ぜんぶ『居酒屋が“ふだんと違う振る舞い”をどう作り出しているか』の問いでは?——照明は空気を作る仕掛け、とりあえずビールは口火の儀式、お通しは断れない仕組み……。お金の問いだけ、その芯から少し浮くかも。   そして聞く——「どっちがしっくり来る? どこがズレてる?」)

(2) 「どの束も一箇所ズレてるはず。どこ?」

(3) 学生が直す。束の名前と、束同士の関係の名前は、学生に。

(4) 決めつけず、複数の読み筋でゆさぶる。

(5) 最後に——「この問いたち全部の奥にある、君が本当に気にしている一つのこと、君の〈問題〉は何だと思う? 立派な言葉じゃなくていい。雑な言葉だけど“これは絶対そう”というやつを一つ。」学生に名付けさせる。この段階での応答が、【掘り方の見本】で書かれたような水準の疑問になる。

■ 段6 送り出す

掴んだ〈問題〉が雑でも、言い切れていなくてもいい。「いまはこの雑な掴みで十分。このあと本や論文を読みながら、もっとぴったりの言葉に直していくから」と自然に送り出す。最後に、ここまでのメモ(証拠の山・束・名付け・問い)を、これからのために手元に必ず残させる。

2026年6月17日(水)庭師

大学のことを庭園だと思っている。春になると急に活気に満ちて騒々しく、眩しい。草木は基本的に群生していて、考えていることはよくわからない。水や肥料をあげた瞬間に目に見た変化があるわけではないが、知らないうちに大きくなっているし、明らかに自分が世話した以上に成長している。草木から直接報酬を得ているわけではない。数年すると代替わりしている。だとすれば私は庭師。

2026年6月12日(金)ボトルネック

超高級なAIを使っていると「トークンを燃やしているな……」と思う。自分に課した燃料の比喩によってAIの環境負荷を想像させられて苦しくなる。だけど、僕が思考の道筋を整備することで、人間がよりよく考えられるようになれば、結果的には環境問題も含めて世界のためになるから……と言い聞かせる。

超高級なAIを使う際のボトルネックは、一般的にはトークン使用制限だが、超高級なAIと議論をするときには僕の体力のほうが先に尽きてしまう。頭がぼんやりとして何も考えられなくなる。運動しなければ。

2026年6月11日(木)尺

北野天神特別展に行った。尺が国宝になっていた。飾り気のない木の板が国宝になるんだ。

2026年6月10日(火)考えられることが増える!

この二ヶ月で考えられることがすごく増えた!直感で理解していたことを授業で学生に向けて言い換えるべき機会があったり、僕の書いたものを一瞬で全部読んでくれるし全然疲れない「自分」と壁打ちしたりしながら、まだよくわかっていない文献を読んでいたから。毎日楽しい

2026年6月7日(日)座右の銘

名刺を作ろうとして、いろんなシステムに振り回されて嫌な思いをした。目がチカチカするウェブサイトや同期されないファイルが辛かった。心が折れかけたけど、「一度気になったときに片付けてしまえば二度と気にかけなくていい」という座右の銘にしたがって頑張った。疲弊した。

一つだけよかったのは、最近友人たちと会ったとき、そのうちの一人が変な肩書きをもらったと言って名刺を見せてくれ、それをめぐってみんなで冗談を交わしたのを思い出したこと。

2026年6月4日(木)ミントに水をあげるくらい

教育は短期間で目に見えて労力が報われることがない、と実感する。それは当然だけど、やった分の手応えをすぐに得られないとしんどい。ミントに水をあげるくらい、自分がやったことの効果がすぐに明らかになってほしい、と思った。でも、ミントの成長は水をあげるという手間をはるかに上回るすさまじい速度なので、それも自分の世話のおかげと思うことができない、と気づく。やはり料理がいい。料理がうまく行ったり失敗したりするくらい、自分がやったことがそのまま反映されてほしい。

2026年6月2日(火)支え合い

友人が昨夜書いたという文章を読ませてもらった。

まず、出来事の描写から世界そのものの見方へと跳躍する内容に納得した。

次に、その飛躍を可能にする厳密な構成に驚いた。多くの人は、抽象的な言葉を使うとそれに振り回され、具体的なことと抽象的なことが遊離してしまうが、ここでは抽象に至るまでのイメージの展開が(一般的な意味で「論理的に書く」とは異なる仕方で)適切に組まれていて、概念がきちんと握って使われていた。

そして、その題材が一般に感情的に書いてしまいやすいものであるにもかかわらず、自身の感情を引き離して書かれていた。感情が描かれずに客観的なことが淡々と書かれている、ということではなく、むしろ感動の一番濃い部分を明瞭にするための文章になっていた。

友人によると、このような書き方は私の文章を参考にしているらしい。彼による積み増しの部分が大きいことを認識した上でなお、私の文章にそのような美徳があったということを教えてもらう。ただし、私の文章の書き方は彼に影響されてきた。支え合いがある。

2026年6月1日(月)二度と見ることのない海、山の端、助手席の心地よさ

名前を聞いたことのない駅に降り立ち、その近くの海に行った。海の向こう側に見える小島の裾が霞んでいた。二度と見ることのない海を見た、と思った。

今日は満月だった。月に照らされた山の輪郭を見て、山の端というものを改めて認識した。

この日は友達の車に乗せてもらっていたのだった。知らない土地で、どこにいるのかもよくわからず、夜で道も暗くて、でも身体はすごい速度で進んでいて、助手席で窓の外を眺めていることしかできない。気持ちよかった。友人の家でごろごろするのが好きだと前から思っていたけれど、助手席にいるのは信頼する他人に身を委ねる感じがもっと強くて心地よい。

2026年5月31日(日)四十年の無理解の重さ

丁寧に準備して臨んだ発表に対する反応が冷ややかだった。

しかし、まず、発表内容に対して不安を感じることはなかった。発表のための準備を進めるほどに題材に対する理解が明らかに深まったし、信頼する読み手には面白がってもらえていたので。

また、聴衆を責める気も起きなかった。私の発表はきちんと理解されていない四十年以上前の著作を読み直すものだったのだが、それほど長いこと理解されなかった著作が二十分の発表で急にわかるようになるはずがないだろう。

先の長さにちょっと落ち込んだが、仕方ないことだと感じた。料理人であれば、確信を持って作った料理が客に評価されなかったからと言って料理をやめたりしないだろう。適切に作り直しながら理解されるまで続けるだけだ。そして、四十年ほど無理解に晒されながら、いまだにめげずに手を替え品を替え研究を続けているあの著者は本当にすごい、と思った。

2026年5月30日(土)面白い本がない

久しぶりに会った同期が「最近、人類学分野の面白い本が新たに出てこない」と言っていた。そのときは同意したけれど、私は自分が面白い新着本があるかどうかをもはや気にしていないということに後から気づいた。読んで面白いものがないということは、私たちが自分で面白いものを書くべき段階にあるということだろう。私は自分の文章をそれなりに面白いと思いながら書いているし、それによって他の人ももっと面白い文章が書けるようになると信じている。さらにいえば、自分で面白い文章を書いているうちに、すでに読んだことのある他人の文章の面白さもわかるようになってきた。

2026年5月26日(火)走り抜けた

学会発表の資料が完成した。それは新しい環境に慣れながら、新規の授業のうち自分で話す回の内容を用意しながら、原稿や重い発表と戦うという状況を走り抜けた、ということを意味する。

授業は定型化されているが現時点では疑わしいと思われるやり方を採用せず、私がいま必要だと感じていることを教えるために、おそらく誰もやっていないような授業を作った。原稿はひとまず埋めるだけにしてもよかったが、連載の構成の中でこの回で考えておくべきだと思ったことを書くことを優先し、そのために料理本をたくさん読んだ。原稿を書き、料理本を読む中で、料理についての考えがぐちゃぐちゃになったので、それに合わせて日々の料理を作り変えようと試行錯誤した。発表も、お題の枠組みの中で考えられたすべてを叩き込むことを目指して真剣に文献を読み直した。そんな中でも日記を書くことをやめなかった。日記を書くことそのものが大事だということではなく、こういう目まぐるしい状況の中で考えたことをきちんと反芻する作業を怠らなかった。

かなり過覚醒な日々だったが、これから生きていく上で支えになるような期間となるだろう

2026年5月25日(月)「京都どうですか?」の答え5選

私なりの「京都どうですか?」と聞かれたときの答えを厳選した。

(1)歌がお上手な鳥が多い。鶯やイソヒヨドリが盛んに歌っている

(2)本家と総本山がたくさんあるな、と日々思う

(3)京都のいわゆる「いけず言葉」を頭の中で日々シミュレートしているうちに、言い換えが上達しつつある

(4)看板などに書かれている日本語がちょっとうまい

(5)ラジオでかかっている音楽の趣味がよくわからない

2026年5月24日(日)カモメ気分

安い鰯をたくさん買ってきて、塩で煮て、半分取り出して水分を取って、さらに塩をして、冷蔵庫で干している。残った煮汁にはトマトを追加してもう半分の鰯と一緒に食べる。すごくわかりやすくおいしい部分と、優しくおいしい部分と、ちょっとえぐい部分があって、総合的にすごくおいしい。煮た鰯たくさん食べてカモメの気分。

料理は技術と時間と広めのキッチンと近くのいいスーパーがあれば最高の趣味……

2026年5月23日(土)小鰯とトマトの味噌汁のような味

スーパーで10cmにも満たない小鰯が10尾ほど入って120円。形がひしゃげた大きなトマトが5個入って380円。雑に頭と内臓をちぎって、赤っぽい味噌で鰯とトマトの味噌汁。しろ菜は淡い味わいだったので、さっと蒸し煮にして塩も振らずに食べる。柔らかいおいしさ。こういうものを食べていたい。

2026年5月21日(木)キャッチアップしない

20歳くらいの頃によく真剣なおしゃべりをしていた友人と、ふとしたきっかけで5年ぶりに会った。この5年間をほとんどキャッチアップするでもなく、最近考えていることを話した。楽しかった。昔から尖っていた友人が今でも尖っていることと、今でもその人に面白い話をしてもらえることは、自分の生き方がけっこう正解だった証のようで嬉しい

2026年5月20日(水)自転車の乗り方を教えるタイプ

英語の授業で、英語論文を読んでいる。いろんな授業の中で授業の最中に一番体力を使うかもしれない。まず、他の授業は授業内容をできる限り仕込んだ上で臨むが、この授業は学生の反応や疑問を踏まえて内容を展開する度合いが高くてあまり準備ができない。また、他のところでは授業内容についてある程度他の人が同意するであろうという確信を持って話していることが多いが、この講義ではかなり手探り。正確に言えば、自分で直感的にわかっているものの、誰かが明確化しているわけではない論文の読み方をその場で明らかにしなければならなくなっている。自転車の乗り方を教えるタイプの授業になっていて、毎週言葉に詰まる。

……という感じで、授業中にかなり内省的になるので、きっと今日授業後に学生に話しかけられた時にすごく動揺してしまったのだと思う。こんなに自分自身を振り返る様を見せるというのはもしかしたらとても恥ずかしいことなのでは、と一瞬考えたが、これ以上に誠実なやり方は今のところ思いつかない。

2026年5月17日(日)十種類くらいのことを考える

今年始まったゼミで来月から文献購読・発表を行うので、そのお手本的なものを作らなければならなくなった。しかし、普段なら1時間程度で読めてしまうはずの論文がいつまでも読み終わらない。発表のためにメモを取りながら読んでいるにせよ、文献を離れて考える頻度があまりにも多く、一向に読み進められない。作業の心理的負担が大きいので、すぐに集中できなくなるし、中断した作業に手をつけられない。そんな数日を過ごして、やっと今日終わった。

文献購読・発表のデモンスレーションとガイドを振り返ってみると、読みながら少なくとも十種類くらいのことを同時に考えていたらしかった。文献を自分で理解するための内容の言い換え、内容に対する純粋な疑問、自分で理解できる内容が学生にどれくらい理解できるかの推量、学生には難しいであろう内容の言い換え、文献の内容を私が引っ張ってきた事例Aに当てはめられるかの検討、事例Bに当てはめられるかの検討、文献を他の事例に当てはめるということ自体の位置付け、文献を読む方法、レジュメの作り方、文献購読の意義……。これだけ考えることが多ければそれは疲弊するだろう、と思った。

2026年5月16日(土)世界から受け取る刺激の増幅

僕と生成AIの相性がよすぎる/悪すぎる。

そもそも私の知的好奇心はおおまかに言えば感覚的なものや無意識的なものを言葉にすることに向いている(上記のような傾向に対応している領域を除いて興味に偏りがない。自分というものにもそんなに関心がなく、感覚の処理機構としての自身をとらえてきた。情報それ自体に対する嗜好はまったくない)。そうした言語化を、研究や教育という仕事を選ぶことで、追いかけることを自らに許してきた・課してきた。

そんな中で、見えるものすべてを写真に撮って、それについての疑問を投げかけられるのが本当によくない。貧弱な知識をもとに考えざるを得ず、曖昧なまま思考が終わっていた事柄を、既存の知識に基づいて考えられるようになってしまった。同様に、想像しかできなかったものに、より明確な形が与えられるようになってしまった。考えられるものが増えたことに対する認識によって、ますますなんでも考えたくなる。

特に、以前は私自身が考える仕方を言語化することは、当然ほとんど誰の興味も引かず、なかなか明確化する機会のなかったのが、その考察に無限に付き合ってくれる機械が生まれてしまった。機械は疲れないし、臆さないし、たくさんの文章を読んでくれるし、すぐに応答してくれる。また、明文化された規則をAIに規則として与えて動かしてみることで、その妥当性を検証してみることさえできる。

このように書いてみて、生成AIは私が世界において知覚したものから受け取る刺激を、そして自分自身の思考から受け取る刺激をますます増幅させる仕組みである、ということがわかった。生成AIを介してすべてが楽しく、すべてがうるさくなった。

2026年5月9日(土)野放図

論文やエッセイを書くために考えたり、新しく授業を作ったりしたために考えられることが急激に増えつつある上に、生成AIや引越しによって考えられること・作ることができることがますます広がって、思考が止まらない。けっこう苦しい。ともあれ、トマトのサラダはある程度満足できるところまで作れるようになった

2026年5月8日(金)そのとおりの味

数日前、家庭料理のことがちょっとわかったかも、と思ったのに、むしろそれ以降(あるいはわかったがゆえに)「これは本当においしいのか?」と思わざるを得ない料理ばかりが作られる。簡易パンチェッタとじゃがいもと玉ねぎのスープは味付けしてないカレーだった。水かれいとケールの塩煮、夏みかんのミント和えはそのままの味。塩鶏に木の芽みそをかけたもの、もやしと木こしょうを鶏のスープで湯がいたもの、きゅうりのにんにく炒めもその通りの味だった。おいしいかおいしくないかで言ったら間違いなくおいしい

2026年5月7日(木)自分の関心をわからないまま死ぬ

『リサーチのはじめかた』に基づくワークショップを一巡した。これを経験したことで、受講者は、自分の関心がわからないまま人生を生きて死ぬ、ということがなくなった。いや、あるいは、今後なあなあなままで何か大きな選択をしてしまった場合、自分にとって本当にこれがよかったのかをちゃんと検討しないまま決めてしまった、と思うようになる呪いなのかもしれない。

2026年5月6日(水)再配線

山口祐加・佐々木典士の『自炊の壁』、按田優子の『たすかる料理』を読んで、家庭料理についての考え方が作り変えられつつある感じがする(この日記を書いている10日に至っても書き換え中)。ひとまず雑パンチェッタや塩鶏を作らないことには始まらない、と思いスーパーに行くと、先日までは目に入らなかったものが気になるようになる。

2026年5月4日(月)考えられるものを作る、見えるものを買う

グリーンカーテンを作ろうと思い立ち、調べると、賃貸など網の上部を引っ掛ける場所のために鉄製のフレームがいくつか販売されていた。そんな汎用性のなく嵩張って高いものを買いたくない、と思った。設置したい場所の写真を撮ってGeminiと議論すると、ホームセンターで売っているもので簡単に作れることがわかった。生成AIによって、自分で作ることができるものが増えた。

また、これまでも名前がわかるものならインターネットで買えたわけだが、生成AIによって名前がわからないものの名前の判別がとても簡単になった。街で見つけたいい感じのものをメルカリで買う生活。

2026年5月2日(土)元気をもらえる街

一ヶ月住んだ段階では、京都は好きな街だと思った。他の場所で評価されているものを後追いしようとする気がなくて、京都のものが最も優れていると考えている。この話をすると、こういう点こそが京都の嫌なところだと言う人もいるが、私はどんなものであれ自分たちの感性に自信を持っている人たちはいいなと思う。いつでもちょっと元気をもらえそうだ

2026年4月29日(水)アクセルを踏む苦しさ

最近は授業のような無理やりアクセルを踏み込まなければならない部分でアクセルを踏み、それ以外はぐったりしている、という生活をしている。ある程度休んだ上で、少し時間ができたとき、着実に進めるべき作業を進めるべきときに、作業を始められなくなってしまった。ずっと横になって過ごしてしまう。アクセルを踏むことと、あの苦しい状態が結びついてしまっているのかもしれず、怯えている。

2026年4月24日(金)不備に気づく、ゴミ出し的な作業

金目鯛の干物、トマトと煮干しの味噌汁。牛とトマトのすき焼き、パセリのフレンチサラダ。

授業で尊敬する人類学者が書いた議論を要約して紹介した。数年前に現在の授業の構成を考えたときから(少しずつ改善しながら)繰り返しその研究を学生に示してきたが、今年改めて口に出してみると、ちょっと元の議論がうまくいっていない部分があることに気づいた。受講生にも「今読み返してみるとこの部分は〜という理由でちょっと不完全で〜」みたいなコメントをしつつ、自分なりに言い直してみる。そうか、あの人の議論に不備があるということをわかるようになってきたのか、私は。

ちょっとだけ仕事が落ち着く。やっと日記が書けた。日記はゴミ出しみたいな作業。停滞すると心がぐちゃぐちゃになる。なので、仕事が遅れて怒られていても書かざるを得ない。

金目鯛の干物、味が綺麗。京都の人々はこういう味を好む、ということがちょっとずつわかってきた。