fujitashu

2026年8月24日(月)大きな水

あまりにも暑いので、夏は雨が降っているときに走ることにしている。この日も雨が降り始めるのに気づいて、外に出て、山の際を通る道を走った。痛いくらいの雨だった。山の方から流れてくる川は、普段は優しい小川だが、この日は濁流になっていた。

外洋を渡る船に乗った時の心細さを感じた。水は、蛇口から出てきたりペットボトルに入っていたりするときには気づかないけれど、強大な力を持つ事物であることを改めて認識した。そして、水はそれ自身の規則に沿って動く。人間はそれにある程度抗うことができるが、究極的には水の動きに従わざるを得ない。

そのような意味で、すべての生物は水(あるいはその循環を駆動する日光)に対して卑小であるが、山を満たし、雨を一身に受け止めていた植物は水を最大限使うような形持っている。限りなく大きな必然性に応じた、生物としての必然性がある。対して、人間は水の影響を可能な限り小さくしようとする。もちろん、外界から自らを切り離すことは生物の基本的な条件であり、水に合わせなくてもよい状況を作ったことで生まれた美しいものもたくさんある。しかし、人間は大きな必然性に応じたものが持つ美しさを失っており、不恰好だ、と思った。